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2007/02/25

安全は誰が担保するのか?

さらに思うことあるので・・ 一般的に日本人は安全を他者に依存している。 ようは、国とか警察とか、会社とか、社会とか・・ 確かに、欧米でもそうだけど、もっと身近な 安全確保(交通、子供、レジャー)等の安全は 自分で確保する文化がある。 ニュージーランドでも高校の送り迎えに親がクルマ で来るのは普通だし、スクールバスも安全確保の 為に普通に使用されている。 バイク乗りも、気の効いた人はオレンジの蛍光 ベストしている人も多い。(工事現場のヤツね) レジャーでも自分で保険に入ったり、安全を 自分で担保しようとしている人が多い。 翻って日本人はどうか。 何か事件があると、監督責任を取る事にばかり 熱中し、肝心の当事者の責任についてはアヤフヤに なる事が多い。 それは、普段安全を他者に担保させている為に、 自分での意識が低い事に他ならない。 そういう文化の人々に公道レースの文化を理解 してもらえるのかどうかだろう。 自分の危険は自分で担保するのがレース。 当然、環境整備して、バイクも整備し、装具も きちんとして出来るだけのパッシブセイフティに 注力した上で、危険なスポーツに挑む。 まるで、エベレスト登頂の登山家と同じ程度の 生命の危険を賭してまでも、公道レースに臨む のだ。 その意気込みが参加者にあるのか? 主催者にあるのか? それをきちんと周知徹底し、危険を管理する事を マネジメント出来るのかどうか? その辺の議論が必要だと思う。
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コメント

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日本のバイク文化・レース文化を見る
試金石になるかもしれませんね
ただ私にはこのレースの是非が実はよく判りません
本来の目的が「三宅島の復興」であって
公道レースをすることではないからかもしれません
目的がどこかに飛んでいって、手段の論争っていうのも…
ただ責任論についてはおおむね同感です
メーカーは死者が出たときの悪いイメージ
を恐れて協賛できないでしょうね

 ご無沙汰しています。覚えていらっしゃるでしょうか?まだニンジャは所有しておりますが、動かなくなって早三年も経とうとしています。復活に向けてゆっくりと動き出そうと思うのですが…。レースはKSR110で楽しんでいます。
さて、
『何か事件があると、監督責任を取る事にばかり熱中し、肝心の当事者の責任についてはアヤフヤになる事が多い。』
とありますが、
井沢元彦氏の著書に興味深いものがありました。
日本文化においてトップダウン式が嫌われるのも、ゼネコンの談合がいっこうになくならないのも、聖徳太子の「十七条憲法」が大きく関係しているというのです。この憲法で聖徳太子は第一条と第十七条で「ものごとは話し合いによって決めなさい」と繰り返しています。これが脈々と日本人に受け継がれているのです。話し合いで決めたことは、みんなで決めたことになりますので、責任の所在は不明瞭になるのは当たり前なのです。そこに責任を追及しても、どうにもなりませんよね。
三宅島レースは興味深いですね。自分が参加するかと問われれば、答えはたぶん"NO"ですね。年齢的なもの、金銭的なもの、情熱的なものがその要因でしょうか(苦笑)
HONDAが協賛しないのは、イメージの問題もあるでしょうし、責任をとりたくないというものもあるでしょうね。話し合いで決めて、責任の所在があやふやになればあり得るかも(笑)
石原都知事は、欧米式にトップダウンもあり得るので、そうなれば実現の可能性も高くなりますが、都知事が替わるとすぐ終わるという可能性もなきにしもあらず。前途多難ですね。
また何かあれば書き込ませていただきます。
中途半端な分ですみませんでした。

みなさま、コメント有難うございます。
とくらぴょんさん!大変ご無沙汰してます。
今年も全日本はオートポリスに見に行きたいです!
さて、四面楚歌の石原知事ですが、バイク業界
でも意見が割れているようですね。
前田淳氏の死去により、キーマン不在の中で
進まざるを得ない不運(運命か)だと思います。
やはり、公道レースのリスクを認識した上で、
それでも走りたいと言う人達が担い手となる
べきなのでしょう。
公道レース経験の無い人達がいくら議論しても、
「あの」恐ろしさは理解出来ないのでは?
と思います。
石垣の壁際を200kmオーバーでギリギリ
クリアする・・・そういう走りが今の日本の
レーシングライダーには経験があるはずも無く、
昔峠を攻めていた命知らずの一部のライダー
なら・・とも思いますが・・
「死」への覚悟、と言う現代の日本では忌み嫌われる
価値観で公道レースは成り立っていると思います。
その辺が解決されない限り、議論は続くような
気がしますね・・・